広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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スポーツ応援談― SPORTS TALK―

広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。

  • 2025年8月7日号
    (合同)ほこり / 西渕 絵美 代表

    小学校から高校までバレーボールに打ち込み、大学でも続けるつもりで2014年に大阪体育大学に入学しました。しかし、入ったのは女子軟式野球部。私の人生はカープに、いや、大瀬良大地投手に変えられたのです。
     きっかけは13年秋のプロ野球ドラフト会議。3球団競合の末、カープは大瀬良投手を1位指名しました。それまで特に野球に興味はありませんでしたが、報道で大瀬良投手を見て格好良い顔に一目ぼれ。家族とのエピソードなどを調べるうちに人柄も好きになり、のめり込みました。しかし、プレーの話になると知識がなくさっぱり。野球の苦楽を理解して、ミーハーなカープ女子を脱却したいと、大学で野球への挑戦を決意しました。
     バレーの経験から俊敏性と落下地点の予測に長けていたようで、外野手として精進。全国大会にも出場しました。卒業後は広島市内で就職し、社会人野球サークルに参加。21年にはチームの代表の紹介で、現在執行役員を務める清掃業のSanDENへ入社し、24年に同社の出資を受けて寝具清掃の「ほこり」の起業に至りました。また同年、チームメイトと結婚。大瀬良投手が私と野球をつないでくれたおかげで、今の人生があります。現在は年に約15試合をマツダスタジアムで観戦。もちろん背番号14のユニホームを着て行きます。
     夢は大瀬良投手とのキャッチボール。頑張っていれば実現すると信じ、野球にも仕事にも打ち込み続けます。

  • 2025年7月31日号
    グランドランドAZ / 大坪 智範 社長

    前職のマツダではエンジニアとしてコックピット回りの開発に従事。その延長線で人と機械、さらに生活の関係をより良くしたいと、家具・家電のリースサブスク事業を2021年に立ち上げました。商品は全て新品で、新生活などライフステージに変化が起きている人たちに受け入れられています。
     旧市民球場のバックスクリーンのスコアボードが手書きだったのを覚えている人たちもいるのではないでしょうか。そのCマークや選手名、点数を書いていたのは、私の父です。1辺1.5メートル以上の大きなボードに、感覚だけで正確に書いており、私はしょっちゅう作業場で文字の色塗りを手伝っていました。ある日、父親から試合中にボードの入れ替えをやってみないかと声をかけられた。バックスクリーンの中は真っ暗で狭く、風が通らずかなり暑かったですね。ですがボードのすき間から見える世界は別格。カクテル光線の中で球場全体が見渡せ、選手一人一人が輝いて見える特等席でした。昔の写真を見ると分かりますが、少しボードが傾いているのは、私のような人がいたからです。私が大学生の時にとうとう電光掲示板へと切り替わりましたが、近代的になったという反面、父の字を名残惜しく感じました。
     現在はすっかりテレビ観戦がメイン。連敗が多くなり手探り状態だと思います。だからこそ新井監督がイメージする理想の野球を追求してもらいたい。そこにはきっと新たなカープ野球があるのではと期待しています。

  • 2025年7月24日号
    ビー・スマイル / 秋田 成人 社長

    当社は広島ガスグループの介護部門として、認知症対応の介護施設「ケアセンター宇品」(南区宇品神田)を運営。6月に社長に就きました。
     江田島市出身で、小学校2年生の時カープが初優勝。その瞬間を一緒にテレビ観戦した父は、私の前で初めて涙を流し、野球はこんなにも人の心を動かすものなのだと実感しましたね。国泰寺高校で野球を始め、広島修道大学では準硬式野球部の投手。当時はアルバイトで市民球場のボールボーイも務め、スター選手のプレーを特等席で見ている気分でした。記念にと受けたカープのプロテストでは、最終の3人に残ったこともちょっとした自慢です(笑)。
     広島ガスに入社後は軟式野球部でプレーし、天皇賜杯の全国大会なども経験しました。そのほか、出身校別に同窓会チームを結成し全国を目指す「マスターズ甲子園」にも注力。実は我が母校は1949年春の選抜大会出場が内定していたものの、学制改革で幻に終わりました。ぜひ先輩たちにマスターズで夢の続きをと意気込み、決勝に進んだ2007年も広島工OBに惜敗。そこで、当時のエースで広島信用金庫元理事長の故・田村鋭治さんをぜひ甲子園のマウンドに立たせてほしいと事務局に嘆願したところ、終球式が実現。憧れ続けた場所に、手が届いた瞬間です。
     当施設の利用者さまもカープが勝つとはつらつとしており、元気の源であると痛感。1試合でも多く勝ち星を積み、市民に笑顔を届けてほしい。

  • 2025年7月17日号
    ヒロコン / 大杉 拓 専務

    安佐南区に本社を置き、製造業などに向けたハード・ソフトウエア開発を行っている。広島出身なので、物心ついた頃から当然のようにカープを応援。小学生の頃はソフトボールをしていて、山本浩二さんや衣笠祥雄さんに憧れていた。1シーズンに5〜6回は市民球場に連れて行ってもらい、ヤジを飛ばすおじさんたちの姿が原風景として残っている。自分も解説者気取りで家族や友達とやんやと言い合うのが楽しかった。
     20代の頃、自身の誕生日の日付と同じ24が背番号の大野豊投手に縁を感じ、好きになった。ギューッと沈み込む特徴的な投法はもとより、軟式出身でドラフト外、元銀行マンから成り上がっていった人生も含めてかっこいい。40代まで現役を貫き、引退試合の1イニングで140キロ以上を投げて会場をどよめかせたシーンは今でも印象に残っている。自分もいつまでもひたむきな精神を持ち続けたいと思わせられる。
     しばらく優勝から遠ざかっていたが、今年は良いところまで来ている。困った時にホームランを打ってくれる、鈴木誠也のような生え抜きのスターが出てきてくれるとうれしい。特に末包選手に注目。しっかりと体のメンテナンスをして、プレッシャーを感じすぎず、のびのびとやってもらえれば。自動車関税などトランプ政権の影響が地場産業に影を落としている今こそ、カープに頑張って優勝してもらい、スカッとさせてもらいたい。

  • 2025年7月10日号
    Tim(ティム) / 石丸 大樹 代表

    県内のIT機器商社での法人営業などを経て3年前に独立。個人、法人向けに意識変革や目標の設定・達成を支援するコーチング業を営んでいます。
     呉市出身で、小学から高校まで野球部に所属し、以前の会社でも軟式野球部でプレーしていました。小学生の頃には旧市民球場にも行きましたが、一番の思い出は呉の二河球場で年に一度だけ開催される公式戦。野村、正田、江藤、金本選手らが並ぶ破壊力抜群の打線が魅力で、応援歌を歌うのも楽しかった記憶があります。また私はピッチャーだったので、同じ右投げの紀藤、山内投手、左では大野投手のマウンド姿も印象的。野球雑誌の連続写真をフォームの参考にしていました。
     最近は現地よりもテレビ観戦派。投手と打者の細かな表情の変化や駆け引き、バッテリーの配球の意図などを読み取りながら試合を見るのが楽しいです。
     商社の野球部では兼任監督を務めたこともあります。甲子園を経験したメンバーがいたり、会社から部費の補助が出たりと恵まれた環境だった半面、それをプレッシャーに感じてしまい選手との相互理解が不足していたのが反省点。現在のコーチング業では目標を押しつけるのではなく、対話を通じて相手の理想を言語化し、行動計画を立ててもらえるよう心掛けています。
     そういった点では、新井監督は自身の若い頃の苦労を基に、選手の気持ちにしっかり寄り添っていると感じます。見習いたいですね。

  • 2025年7月3日号
    シンクロニシティ / 岡本 奈美 社長

    1993年、Jリーグ開幕。私の価値観に大きく影響する出来事でした。走りに走って果敢に攻める。そんなサンフレの闘志や場内が熱に包まれる光景に感動し、同チームに関わる仕事がしたいと願うようになりました。
     ただ、そうした仕事はなかなか無く、一般就職。しかし最近になって、夢の実現がぐっと近づいてきたのです。私は2021年12月にキャリアコンサルで起業し、再就職を希望する女性向けの無料相談窓口「女性のキャリア応援コーナー」の運営を広島県から受託。そんな縁から23年の「わたしごとフェスタ広島」ではサンフレの女子チーム・レジーナの選手3人と対談する機会に恵まれ、皆さんの真っすぐな生き方に感銘を受けました。昨年は新スタジアム・エディオンピースウイング広島で女性再就職のための合同企業説明会を開催。
     今年6月からはサンフレなどが主催するスポーツビジネス実践プログラム「広島スポーツブリッジ」に個人的に参加しています。学びの場としてはもちろんのこと、チームの経営陣に直接提案できる可能性もあり、例えばサンフレが掲げる売上高100億円(前期80億円)の達成に向けたアイデアなどを構想中。やはり、全国に誇れる新スタジアムを地域のにぎわい創出拠点にすることが重要ではないでしょうか。
     単に好きだったあの頃と違い、今の私には経営者としての経験がある。サンフレがビッグクラブへと飛躍する一助になれば、この上ない幸せです。

  • 2025年6月26日号
    (社)ライフステージ / 大瀬戸 亮平 代表理事

    出身地の安佐北区安佐町で高齢者向け体操教室や、野球経験を生かして中学生の硬式野球チーム、社会人女子硬式野球チームを運営しています。
     小学3年で競技を始め、中学は軟式チーム「広島グリーンファイターズ」で腕を磨きました。ポジションは投手で3年時には120キロ台後半の直球を武器にエースとして奮闘。進学時に複数校から声を掛けていただき、縁あって広陵高校に入学。さまざまな事情で軟式野球部に所属しましたが、良き仲間と充実の日々を過ごしました。
     高校の同級生には2003年春の甲子園優勝バッテリーの西村健太朗(元巨人投手)と白濱裕太(元カープ捕手、現スコアラー)がいて2、3年時は同じクラスに。二人とも真面目な性格で、部活だけでなく学業も手を抜かない。日々の厳しい練習でヘトヘトのはずなのに、定期試験はクラス上位の成績でしたね。遊びも真剣。冬に雪合戦をした時に、私の投げた雪球がフランケン(西村)の太ももに直撃し、腹を立てて投げ返してきた彼の剛速球がめちゃくちゃ痛かったのを覚えています(笑)。彼らがドラフト上位指名された時にクラス全体で大いに祝福したのはいい思い出ですし、私の結婚式で白濱からもらったカープ選手のサインの寄せ書きは家宝です。
     幼い頃は球場によく足を運びましたが、今はスマホアプリでの速報確認がメイン。指導者の立場になると試合の見方も変わりますね。ひたむきに1勝を重ね、頂点を目指してほしい。

  • 2025年6月19日号
    おけいこドットコム  / 湊 容子 社長

    カープを語るとき、愛してやまない尊敬する父の存在が欠かせません。試合中継のある日のテレビは、父の占有物に。ひざに座らせてもらい一緒に観戦していました。敗戦が色濃くなり機嫌も悪くなり出すと、怖くなってさっと2階に上がっていましたね。
     父の勤める会社が旧市民球場のバックネット裏に指定席を持っており、球場にも頻繁に連れて行ってもらいました。観戦に行くと、近くにお店のあったケンタッキーと、カープうどんを買ってもらえるので、すごく良い思い出。もちろん試合も楽しんでいました。忘れられないのは、西田さんの乱闘。貧乏・弱小のカープ選手が相手チームに果敢に挑む姿に球場が沸き立ち、私も子どもながらに「やれやれ」とあおっていたのを覚えています。ちなみに、いつも隣で激しくやじる父の姿を見ていたため、私は今でもついついやじっています(笑)。
     特定の選手ではなくチームが好きで応援しています。しかし子どもの頃、唯一好きだったのが巨人の王貞治さん。長嶋さんのようなスター性があったわけではなく、努力の姿勢に魅力を感じていました。この事実はカープ狂の父に、もちろん言えず。禁じられた関係でした(笑)。それから月日がたち、数年前に闘病中だった父に伝えると、笑って許してくれました。
     父は昨年末に他界。母は今も父の写真と一緒に中継を見ているようです。父とカープは、私たちにとって切っても切れない関係にあります。

  • 2025年6月12日号
    BeINPRO(ビインプロ)  / 小川 卓彦 代表

    2023年に大手外資系製薬会社を退職して独立し、水回りなどのコーティング施工を手掛けています。3月、抗酸化・還元作用を持つ植物触媒コーティング剤「HP cure(エイチピーキュア)」の取り扱いを開始。有害化学物質の低減や消臭、抗菌作用もあり、主に分譲住宅の販売業者などへ採用を提案しています。
     兵庫県の播州地方出身で、広島に移り住んだのは前職時代の2020年。バスケット経験者の妻に誘われ、初めてバスケ観戦したのがドラゴンフライズの試合でした。身体の大きな選手たちによる激しい当たりやスピーディーなゲーム展開、華麗なドリブル、連携プレーを目の当たりにして一瞬でとりこに。年間チャンピオンとなったシーズンは、セミファイナルの応援に名古屋まで出掛けたほどです。
     ミスタードラゴンフライズとして活躍し、24―25シーズンから新たなチャレンジとしてヘッドコーチを務める朝山正悟監督と、脱サラして自営する自らを重ね合わせてしまいます。プレーヤーとマネジメントでは全く勝手が違うと思いますが、2季目となる来季の飛躍に期待。地元出身の三谷桂司朗やエースのドウェイン・エバンス、成長著しい中村拓人選手が残留を表明してくれて一安心しました。
     広島市内は少し足を伸ばせば、カープ、サンフレなども気軽に観戦できる環境にあり、スポーツ観戦の頻度が全国トップなのもうなずける。新アリーナにも期待で胸を膨らませています。

  • 2025年6月5日号
    ジーモット / 望月 彩子 代表

    英語教師として15年間勤めた後、県内で通訳や訪日客向けツアー企画の業務に携わり、今春に地域の人と資源を掛け合わせた体験を提供する地域送客メディア「ZeMott(ジーモット)」の本格展開を始めました。
     私は広島市出身で親戚がみなカープファンだったため、帰省時に集まればテレビ画面には試合中継が映り、常にカープの話題が上がっていた。2歳まで日中、母親に代わり面倒を見てくれた祖母も熱狂的な鯉党で、昔は毎日のように市民球場へ足を運んでいたようです。その後、祖母は足腰が弱りテレビ観戦へシフトしていましたが、私がマツダスタジアムへどうしても連れていきたく、昨年9月1日ヤクルト戦でようやく一緒に観戦できました。その試合は矢野選手のランニングHRが奏功してカープの勝利。大失速する前に現地観戦を楽しめ、祖母の表情からも少しはおばあちゃん孝行ができたのかなと思います。
     この取材を受ける1週間前、そんな大好きな祖母が97歳で他界しました。命日となったその日は、祖父が亡くなったばかりの小園選手が逆転満塁HRを放った日。不謹慎かもしれませんが、永眠した祖母の隣に親戚一同でスマートフォンを片手に試合を見ながら「今日もカープは勝ち勝ち勝ち勝ち!バンザーイ!」と歓喜。みなが悲しむよりはこうして勝利を喜ぶ方がきっと祖母はうれしいはず。そんな祖母と私の人生に寄り添ってくれたカープを、これからも変わらず応援していきます。

  • 2025年5月29日号
    住田 / 小西 光信 名誉会長

    市内を中心に業務用酒類・食品卸を手掛けています。2021年に創業100周年を迎えました。これからも酒や食文化の発展に少しでも寄与できるよう歩みを続けていきたい。
     初めてのカープ観戦は1950年代初頭、観音新町の広島県総合グランド。太田川に架かる橋はまだ木造で、チケットを買えなかった人が球場バックスクリーンの裏にある松の木の上で見ている時代でした。旧市民球場に移転後も幾度となく通い、応援団とも顔なじみ。荒れ狂う観客席も今となっては懐かしいです。一番の思い出は何といっても75年の初優勝。当時は酒の配達員で、当日も明け方まで中区の繁華街周辺で働いていました。流川は歩行者天国のように人であふれかえり、あちこちで「おめでとう!」「万歳!」と、酒や人が宙を舞っていました。球団に許可を取って事前に企画していた自社オリジナルのV1ラベルウイスキーを発売。24本入りが2時間程度で100ケース売れました。でも、配送車で流川通りに入ると酔った歩行者が荷台に乗り込んできて、勝手に酒を配るのです。車もひっくり返されそうになり、泣く泣く販売を中止しました。次は節目のV10。また何か企画したいですね。
     優勝する時は必ず良い外国人がいる。ファビアン選手が現れて期待が高まります。また末包昇大選手にランナーを返せる4番の風格が出てきて喜ばしい。昨年の雪辱を果たし、今季は新井監督の胴上げを見たいですね。

  • 2025年5月22日号
    京都嵯峨野 / 藤正 幸司 社長

    貸衣装や婚礼写真など総合ブライダル事業を展開し、広島東洋カープ公認の2種類のドレスとタキシードを開発してマツダスタジアムで披露。4月にイオンモール府中で開催の「ブライダルビジョン」でもお披露目しました。
     白のウエディングドレスは「Carp」や「C」のロゴをあしらい、赤いパーティードレスはチアガールをモチーフにしたデザインです。2022年に南区西蟹屋に広島ブライダル館を新築移転。マツダスタジアムと近いこともあって、コラボ企画を準備してきました。私自身広島で生まれ育ち「広島はスポーツが密着した街」と実感しており、若者の流出が問題になる中、スポーツと結婚式を融合したいという思いで企画。これまでも球場での写真撮影やドレスの上にユニホームを着る人もいて、カープのコラボドレスが結婚式やパーティーの盛り上がりに一役買えればと思っています。サンフレッチェとのコラボも検討し、学生とドレス作りで協業したい思いもあります。
     私のスポーツ歴は高校、大学で剣道を続け三段を持っています。カープは小学生の頃から毎日のようにテレビ観戦し、今は年数回スタジアムで観戦。子どもの頃は高橋慶彦選手のファンでした。スイッチヒッターの俊足巧打で、格好良かったですね。当時の山根和夫、川端順、白武佳久投手らも懐かしいです。今年は二俣翔一、田村俊介選手の活躍に期待しており、優勝してほしいですね。