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カープ応援談
オリオリ 社長 宮本 亮嗣(34歳)
東広島に拠点を構え、食品を中心とした商品開発やブランディング、販路拡大支援を手掛けています。
子どもの頃から野球が好きで、大学時代には京セラドームでファウルボールの注意喚起をする笛吹きのアルバイトを経験。国内で行ったことがない球場は残すところエスコンと仙台のみになりました。徳島出身ということもあり、特定の球団というよりは野球そのものが好きだったのですが、尾道出身の妻との出会いがきっかけでカープファンに。2014年に初めて二人で試合を見に行き、アメリカのメジャーリーグを思わせるスタジアムの雰囲気も含めて好きになりました。
特に応援しているのは同年代の野村祐輔投手。甲子園決勝でのきわどい判定が印象深く、明治大学を経てどこに入団するのかドラフトで注目していました。少し前までは40歳近くになっても活躍する選手がたくさんいましたが、最近は入れ替わりが早いように思います。カープでも気がつけば自分と同年代以上の選手は数えるほどに。野村投手にはまだまだ現役で頑張ってほしいですね。
今シーズンは惜しくもリーグ2位で、クライマックスでは阪神・岡田監督に見事にやられました。来シーズンは新井監督がどのように師匠を超えるのかに注目したい。25年ぶりのリーグ優勝を果たした16年には甲子園を真っ赤に染めたことがニュースになりました。敵地を圧倒する熱気を再び呼び起こし、来年こそは日本一へ。
カープの独り言
「さらば西川龍馬」
ひょっとしたら現役選手の中で最もカープらしい選手だったかもしれない。そのため本稿でよく取り上げたのが西川龍馬だった。律義でおちゃめ。その類を見ない曲芸打法で球団史上でもまれな「バットを持ったエンターテイナー」になった。
彼のFA移籍について、2007年オフに同じ決断をした新井貴浩監督は「野球人生において後悔のない選択をしてくれるのが、僕も一番うれしい」と語った。しかし番記者によると、西川の口から直接その話を聞いた日は、いつもより寂しそうに見えたという。そして秋季キャンプから林晃汰に外野を守らせるなど、戦術のバリュエーションを増やす道を模索し始めた。
ではいったいなぜ西川はFA宣言への道を選んだのだろうか。私は彼が会見で語った次の言葉を素直に信じている。「セとパでは野球が違うので、真っすぐでどんどん勝負してくるパ・リーグで僕の野球が通用するのか興味があった。環境を変え、また新しい自分探しができたらいい」。これは天才肌で、特異な打撃スタイルを確立した打者だけが口にできる言葉である。
よろしい。これぞ西川である。まだオリックスのユニホーム姿のイメージは湧かないが、なぜか応援は続けたい。当然カープにとって大きな戦力ダウンである。しかし、その穴を埋めるために必ず若手が出てくる。西川自身が丸佳浩の巨人へのFA移籍によってレギュラーへの道が開けたように末包昇大、田村俊介、中村貴浩らにチャンスが生まれる。8年間ファンを楽しませてくれた西川には、特大の感謝の言葉を贈りたい。
彼のFA移籍について、2007年オフに同じ決断をした新井貴浩監督は「野球人生において後悔のない選択をしてくれるのが、僕も一番うれしい」と語った。しかし番記者によると、西川の口から直接その話を聞いた日は、いつもより寂しそうに見えたという。そして秋季キャンプから林晃汰に外野を守らせるなど、戦術のバリュエーションを増やす道を模索し始めた。
ではいったいなぜ西川はFA宣言への道を選んだのだろうか。私は彼が会見で語った次の言葉を素直に信じている。「セとパでは野球が違うので、真っすぐでどんどん勝負してくるパ・リーグで僕の野球が通用するのか興味があった。環境を変え、また新しい自分探しができたらいい」。これは天才肌で、特異な打撃スタイルを確立した打者だけが口にできる言葉である。
よろしい。これぞ西川である。まだオリックスのユニホーム姿のイメージは湧かないが、なぜか応援は続けたい。当然カープにとって大きな戦力ダウンである。しかし、その穴を埋めるために必ず若手が出てくる。西川自身が丸佳浩の巨人へのFA移籍によってレギュラーへの道が開けたように末包昇大、田村俊介、中村貴浩らにチャンスが生まれる。8年間ファンを楽しませてくれた西川には、特大の感謝の言葉を贈りたい。
迫 勝則(さこ かつのり)
1946年生まれ。マツダ退社後に広島国際学院大学部長などを務め、執筆・講演活動を続ける。近著は「森下に惚れる」「逆境の美学」。
1946年生まれ。マツダ退社後に広島国際学院大学部長などを務め、執筆・講演活動を続ける。近著は「森下に惚れる」「逆境の美学」。