広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。
英語教師として15年間勤めた後、県内で通訳や訪日客向けツアー企画の業務に携わり、今春に地域の人と資源を掛け合わせた体験を提供する地域送客メディア「ZeMott(ジーモット)」の本格展開を始めました。
私は広島市出身で親戚がみなカープファンだったため、帰省時に集まればテレビ画面には試合中継が映り、常にカープの話題が上がっていた。2歳まで日中、母親に代わり面倒を見てくれた祖母も熱狂的な鯉党で、昔は毎日のように市民球場へ足を運んでいたようです。その後、祖母は足腰が弱りテレビ観戦へシフトしていましたが、私がマツダスタジアムへどうしても連れていきたく、昨年9月1日ヤクルト戦でようやく一緒に観戦できました。その試合は矢野選手のランニングHRが奏功してカープの勝利。大失速する前に現地観戦を楽しめ、祖母の表情からも少しはおばあちゃん孝行ができたのかなと思います。
この取材を受ける1週間前、そんな大好きな祖母が97歳で他界しました。命日となったその日は、祖父が亡くなったばかりの小園選手が逆転満塁HRを放った日。不謹慎かもしれませんが、永眠した祖母の隣に親戚一同でスマートフォンを片手に試合を見ながら「今日もカープは勝ち勝ち勝ち勝ち!バンザーイ!」と歓喜。みなが悲しむよりはこうして勝利を喜ぶ方がきっと祖母はうれしいはず。そんな祖母と私の人生に寄り添ってくれたカープを、これからも変わらず応援していきます。
市内を中心に業務用酒類・食品卸を手掛けています。2021年に創業100周年を迎えました。これからも酒や食文化の発展に少しでも寄与できるよう歩みを続けていきたい。
初めてのカープ観戦は1950年代初頭、観音新町の広島県総合グランド。太田川に架かる橋はまだ木造で、チケットを買えなかった人が球場バックスクリーンの裏にある松の木の上で見ている時代でした。旧市民球場に移転後も幾度となく通い、応援団とも顔なじみ。荒れ狂う観客席も今となっては懐かしいです。一番の思い出は何といっても75年の初優勝。当時は酒の配達員で、当日も明け方まで中区の繁華街周辺で働いていました。流川は歩行者天国のように人であふれかえり、あちこちで「おめでとう!」「万歳!」と、酒や人が宙を舞っていました。球団に許可を取って事前に企画していた自社オリジナルのV1ラベルウイスキーを発売。24本入りが2時間程度で100ケース売れました。でも、配送車で流川通りに入ると酔った歩行者が荷台に乗り込んできて、勝手に酒を配るのです。車もひっくり返されそうになり、泣く泣く販売を中止しました。次は節目のV10。また何か企画したいですね。
優勝する時は必ず良い外国人がいる。ファビアン選手が現れて期待が高まります。また末包昇大選手にランナーを返せる4番の風格が出てきて喜ばしい。昨年の雪辱を果たし、今季は新井監督の胴上げを見たいですね。
貸衣装や婚礼写真など総合ブライダル事業を展開し、広島東洋カープ公認の2種類のドレスとタキシードを開発してマツダスタジアムで披露。4月にイオンモール府中で開催の「ブライダルビジョン」でもお披露目しました。
白のウエディングドレスは「Carp」や「C」のロゴをあしらい、赤いパーティードレスはチアガールをモチーフにしたデザインです。2022年に南区西蟹屋に広島ブライダル館を新築移転。マツダスタジアムと近いこともあって、コラボ企画を準備してきました。私自身広島で生まれ育ち「広島はスポーツが密着した街」と実感しており、若者の流出が問題になる中、スポーツと結婚式を融合したいという思いで企画。これまでも球場での写真撮影やドレスの上にユニホームを着る人もいて、カープのコラボドレスが結婚式やパーティーの盛り上がりに一役買えればと思っています。サンフレッチェとのコラボも検討し、学生とドレス作りで協業したい思いもあります。
私のスポーツ歴は高校、大学で剣道を続け三段を持っています。カープは小学生の頃から毎日のようにテレビ観戦し、今は年数回スタジアムで観戦。子どもの頃は高橋慶彦選手のファンでした。スイッチヒッターの俊足巧打で、格好良かったですね。当時の山根和夫、川端順、白武佳久投手らも懐かしいです。今年は二俣翔一、田村俊介選手の活躍に期待しており、優勝してほしいですね。
小学校の教員や校長を経て2022年に独立。不登校の高校生と引きこもりの若者にプログラミングやデータサイエンスを教える塾のほか、(社)パルクで小中学生向けフリースクールを南区段原で運営しています。
当社の取締役を務める夫が大のカープファンで、結婚を機に頻繁に観戦するようになりました。私は野球に詳しくありませんが、皆が一緒に喜び、球場全体が一体化する雰囲気が好きです。特に印象に残っているのは、前田智徳選手が2000本安打を達成した2007年の中日戦。4打数無安打で8回を迎え、「もう前田選手の出番は来ないだろう」と半ば諦めていたのですが、チームメートの奮闘で打線がつながり、奇跡的に打順が回ってきたのです。ライトにタイムリーを放った瞬間は会場のボルテージが一気に上がり、空気が燃え立つような感じがしました。アキレス腱(けん)の断裂など度重なるけがを乗り越えて成し遂げた偉業で、その場に立ち会えたことは本当に幸運でした。
一人一人の役割を明確にした上で信じて任せる新井監督の指導方針を、教室運営の参考にしています。生徒やスタッフの特徴を見抜き、長所や得意な分野を伸ばせるよう働き掛けることで、皆が自信を付けてキラキラと輝けるようにしたい。
優勝すればもちろんうれしいですが、勝ち負けは二の次。チーム一丸で全力投球する姿を通して、子どもたちに夢と勇気を与えてもらいたいですね。
前会長で一昨年に亡くなった父は広陵高で甲子園に出場した経験があり、私も小学生の頃から野球に打ち込みました。当時、カープで憧れていたのは俊足が武器の高橋慶彦選手です。ひたむきにグラウンドを駆ける姿が本当にかっこよかった。あやかって同じ背番号2を付けたほか、スイッチヒッターに挑戦した思い出があります。高橋選手が晩年、ロッテにトレード移籍した際は、中国新聞の企画で惜別メッセージを送ったことも。その紙面は現在も母が保管しています。
一押しの選手が不在の数年間を経て、次に心を奪われたのは1歳下の前田智徳選手です。一切の妥協を許さないスタイルは、とにかくすごい。特に印象的なのは1992年の巨人戦で、試合中盤に守備でミスを犯して同点に追い付かれた後。終盤に決勝ホームランを放ったのですが笑顔は全くなく、悔し涙を流していたのです。20歳過ぎで、こんなに自分を厳しく律しているのかと驚かされました。社長に就いた今も見習って、そうした姿勢を社員に見せられるよう意識していますし、休日に興じる草野球では同じ1番を背負っています。
福岡県で大学生活を送った影響で、実はパ・リーグではホークスを応援。2018年の日本シリーズでカープと対戦したのがうれしく、両軍のユニホームを持って現地観戦していました。またこの組み合わせが実現してほしい。もちろん、次こそはカープが日本一に輝くことを期待しています。
地元の廿日市市丸石に本社を構え、「空き家浪漫製作所」の屋号で不動産売買・仲介などを手掛けています。
父親が野球をしていたことから、テレビのチャンネルを常にカープ中継に合わせ、球場にもよく足を運ぶなど、幼い頃から家庭にカープは当たり前の存在でした。特に好きな選手は、日本人投手初の日米通算先発勝利数のみで公式戦200勝(最終は203勝)を達成した黒田博樹さん。当初は、友人から「顔が似ている」と言われてどことなく親近感があった程度だったのですが、鯉党を大いに沸かせた2006年オフシーズンのあの「広島残留」宣言を機に、ほれ込みました。米ドジャースやヤンキース在籍時の登板結果を必ずチェックしましたし、メジャーリーグの名だたる打者に立ち向かう姿や、高額年俸オファーを蹴って広島に復帰した心意気には、本当に感動と勇気をもらいましたね。
黒田さんが大切にする「耐雪梅花麗」も大好きな言葉。「梅の花は寒い冬を耐え忍ぶことで春になれば一番麗しく咲く」という意味で、暗黒期のカープを支え、広島復帰後にリーグ優勝、そしてファンの前で盛大な引退セレモニーをされた黒田さんの野球人生を体現していると思います。
変革を掲げる新井監督の下、今季は若手の奮闘に期待がかかりますね。とはいえ、長いシーズンを戦う上では松山選手や田中選手などリーグ3連覇を知るベテラン勢の力も不可欠。新旧の融合で新たな黄金期を築いてほしい。
3月に福屋と共同で「箔のペーパークラフト 達磨のカープ坊や」を発売しました。縁起物のだるまにカープ坊やをあしらい、本物の金属箔を使った箔押し紙で立体的に仕上げました。カープグッズを手掛けるのは初めて。ファンの久永家一同で喜んでいます。
当社のある西区三篠町には2011年まで三省寮があり、カープとの思い出は尽きません。印象深いのは、先発で負けたある投手が翌日に高級車を寮で洗っていると、通りがかった酔っぱらいのおじさんにひどく叱られていたこと。よっぽど気に食わなかったんでしょうね(笑)。子どもの頃、当社工場裏の室内バッティング場で巨人のクロマティにだっこをしてもらったり、素振り中の金本、江藤の両選手の方から声をかけてもらったり。選手との距離が近く良い時代でしたね。
高橋慶彦の移籍後に野村が、津田が故障して佐々岡が出てくるなど、有力選手の陰で虎視眈々とポジションを狙う若手の存在がカープ黄金期を支えたと思います。これはわれわれ企業も同じで、目標実現への野心を持った組織の方が強い。私自身も先代を越えられるようにしっかりと事業に向き合い、伸びしろの大きい海外市場の開拓で成果を上げたい。
カープの日本一達成時には当社の箔押し技術を生かし、黄金に輝くヘルメットを作りたいですね。
2026年に設立30周年を迎えます。警備業や学習塾運営などを手掛けていましたがコロナ禍に撤退し、21年に再開した鳥取県のブランド「白バラ牛乳」の配達を本業に据えています。私自身も早朝から自転車で街を駆け回っています。
妻があらゆる競技に興味があるスポーツ好きで野球、サッカー、駅伝など、家庭内では何かの試合結果が毎日話題に上がります。4人の子どものうち長男が崇徳高校、次女が山陽女子高校でサッカー部に所属していたこともあり、私も次第にサンフレッチェ広島を応援するようになりました。24年3月9日に初めてエディオンピースウイング広島で試合観戦。サガン鳥栖に4対0で快勝しました。設備の美しさにも感心しましたが、何より衝撃を受けたのはピッチと観客席の近さです。手が届きそうな距離で選手がプレーしている迫力に圧倒されました。また一つ一つのプレーに満員のサポーターが歓声を上げる様子や、音がよく響くスタジアムの構造もあり、とても興奮しました。
次女はプロも輩出する大阪国際大学でサッカーを続け、卒業後は大阪で働いていましたが、今年6月に転職で広島に帰ってくるとのこと。私以外の家族は新スタジアムで観戦したことがないので、娘が戻ったら妻、長男と4人で行きたいです。私は細かい戦術などには詳しくないので、子どもたちに解説してもらいながら見られたら楽しいでしょうね。
岡山市が本社の登山・アウトドアショップで、広島店は現在新築リニューアル工事中で4月の開店予定です。2階建てで店舗を広くし、ウェア、靴、ザック(登山用リュック)などの商品を充実させ、坂や岩場を再現する靴のテストコースを設け、試着室を増やします。店名には「第一の関門」という意味合いがあり、商品を通じ登山やアウトドアのサポートをしたいですね。
西区出身で大学を中退後、山岳会に所属し登山に没頭。20歳代前半は長野県の白馬山系の山小屋や山岳救助隊に勤務しました。広島の山・スキー専門店、大阪のアウトドア卸業勤務などを経て、アシーズに入社。広島店で現在、店長を務めています。若い頃は岩場や雪山がメインで、北アルプスは隅々まで登りました。雪崩に巻き込まれたり、単独行で岩壁で40メートル落下し、ロープで宙づりのまま一夜を明かした経験もあります。
アシーズブリッジのお客さんとは南北アルプスや屋久島の宮之浦岳・縄文杉などに行きました。屋久島では歴史や植生なども学び、里山や森林の新しい魅力を発見。各店の従業員と山登りやテント張りの研修もしています。山登りは年齢に応じた楽しみがあり、生涯スポーツとしても有望だと思います。山登りの魅力はたくさんありますが、日常生活をリセットでき、「健全な逃避行」として、歩きながら無心になれるのがいいですね。また自然から力をもらえる感覚もあり、現実の生活の活力になると思います。
2月1日付でスポーツコミッション「スポーツアクティベーションひろしま」(SAH)の代表に着任した(19ページに関連記事)。
県内25チームの応援プロジェクト「チームウィッシュ」などに取り組んでいる。複数チームに関わる活躍予想ゲームを企画し、サイトでは選手インタビューなどを掲載。競技の枠を超え、横のつながりをつくることで大きな力を生みたい。つまりスポーツ資源を最大限に活用する。それによって地域が活性化し、もっと笑顔あふれるまちになる。壮大な目標だが、これまでの経験を生かし、全力を尽くす。
各チームは知名度の差があり、魅力をうまく伝えきれていないように思う。言い換えれば伸び代は十分。それぞれの特徴や求めること、期待されていること、共通点などを見いだし、施策を練り上げたい。
広島は食、立地、自然、環境の全てが良好。地域に魅力がたくさんある。それをスポーツの力で、もり立てていく。例えば「わがまちスポーツ」という補助事業では11市町のにぎわい創出の取り組みをサポートし、国際・全国大会の誘致やスポーツを通じたまちおこしにつながった。
良いまちなのに、住む人が気づいていないのではないか。活性化策は今後、地元学生とも一緒に考えたい。多彩な体験は若者の成長を加速し、わがまちという意識で郷土愛が湧く。生涯スポーツも重要。皆がここで暮らし続けたいと思う広島の実現を目指す。
三次市出身で〝広島を愛するシンガーソングライター〟として活動し、RCCラジオの冠番組「佐々木リョウのバリAじゃんラジオ」がおかげさまで12年目に突入しました。
小学校の卒業文集に「将来はプロ野球選手か名音楽家になりたい」と書くほど野球が大好きで、昔は芸備線を使って小旅行のような感覚で市民球場へ足を運んだのが良い思い出です。時を重ねるうちに歌手としての夢を追いかけ、2007年に上京。10年に帰広した後、地域に根付いた活動が実を結び、私の楽曲が14年に岩本貴裕選手の登場曲に選ばれたほか、念願だった国歌斉唱を2度も務めさせてもらった。中でも忘れられないのが2度目となった22年8月6日のピースナイター。当初は被爆3世として国歌斉唱のみを担当する予定でしたが、始球式の登場予定者が急きょ参加できなくなり、私が両方を担うことに。通常ライブの10倍以上の観客数で、口から何かが出そうなぐらい緊張しましたね。ですが投球前にアンダーソン投手から片言の日本語で「ガンバッテネ」とエールをもらったおかげで、少し肩の力が抜けた。結果はワンバウンドしましたが、球場の土の付いたボールを記念に頂け、今では一生の宝物となっています。
過去にご縁のあった岩本選手と同じ背番号の佐々木泰選手は名字も同じで運命を感じ、注目しています。今年は被爆80年の大きな節目、ぜひ首位奪還を果たしてほしい。
不動産や会社・法人の登記業務をメインに、海田町で司法書士をしています。土地や建物を相続した際に行う相続登記が昨年4月に義務化されたことを背景に、案件が増加。相続に直面した方の不安に寄り添い、安心して任せていただけるよう努めたい。
広島生まれの広島育ちで、幼い頃から父とよく旧市民球場へ観戦に行っていました。カープ坊やのイラストが入った「ぶっかき氷」が大好きでしたね。北九州市立大学に進み一時広島を離れたことで、地元に球団があることの有り難みを改めて実感。卒業後に帰広してからは、一層応援に熱が入るようになりました。
球場外のさまざまなイベントで選手と触れ合えることも、カープの魅力ではないでしょうか。2023年に出場した「広島県スポーツ振興チャリティーゴルフ大会」の後夜祭でお話しさせてもらった野間峻祥選手はとても礼儀正しく、好青年でした。昨年には、ウエスタン・リーグの試合後に開かれた「若鯉野球教室」に子ども2人が参加。常広羽也斗投手がとても爽やかで優しく指導してくれ、家族みんなの心をわしづかみにされました。大学の同窓生である益田武尚投手にも期待。自慢の速球を生かして一軍で活躍してほしいですね。
待ちに待った球春がいよいよ到来。知人からチケットを頂くことが多く、現地観戦した際の勝率の高さが自慢です。皆さまからのお誘いをお待ちしております(笑)。